仙台高等裁判所 平成8年(う)12号 判決 1999年3月04日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中八〇〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石田恒久及び同石岡隆司が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官郡司哲吾が提出した答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
(太郎殺害関係の控訴理由に対する判断)
一 理由不備の主張について
論旨は要するに、原判決は、殺害の日時については「昭和六三年七月二四日午後八時ころから翌二五日未明までの間に」と、殺害の場所については「青森市内又はその周辺に停車中の自動車内において」と、殺害の実行行為者については「乙川次郎又は被告人あるいはその両名において」と、殺害の方法については「扼殺、絞殺又はこれに類する方法で」と、死体遺棄の日時については「右の犯行後、同月二五日未明までの間に」と、死体遺棄の実行行為者については「乙川次郎又は被告人あるいはその両名において」というように、択一的な、あるいは厳密な特定をしない認定をしているが、そのような認定は「罪となるべき事実」の記載として具体性を欠くものであるから、原判決には理由不備の違法がある、というものである。
しかし、本件においては、原判示のとおり、昭和六三年八月二日に太郎の死体が発見されたが、その死後経過時間は解剖時点まで一ないし二週間、最後の食事摂取後死亡までの時間は、胃の内容物の消化程度からの推定で最大で三時間程度、その死因は腐敗性変化により隠蔽される程度の外力作用(強力な外力作用による脳その他の諸臓器の直接的損壊、溺水による窒息、薬物服用による中毒の可能性はいずれも低い。)としか特定することができない。また、後に判断を示すように、太郎は、七月二四日夕方から「京さい」で被告人及び乙川とともに飲食をした後、その夜のうちに殺害され、死体を遺棄されたが、それが被告人及び乙川の両名の共謀による仕業であることには間違いがない。そして、それ以外の者が介在したとは認められないが、関係証拠を詳しく検討してみても、実行行為者が誰なのかを確定することが困難であり、また、犯行の日時、場所、方法についても、原判示第三の程度のことしか言えないのである。
このような場合には、原判示のような形で事実認定をするほかはないわけであるが、太郎が殺害され、その死体が遺棄されたことについて、被告人の刑事責任の有無を示し、かつその範囲を画するには、その程度のものでも足りるし、なお、量刑の判断に当たっては、その中で被告人に最も有利なところを前提とすることになるのは言うまでもないから、原判示のような「罪となるべき事実」の認定の仕方も、やむを得ないこととして是認されるのであり、判決の理由不備に当たるものではない。論旨は理由がない。
二 理由齟齬の主張について
論旨は要するに、原判決は、その「罪となるべき事実」の中で、犯行の動機について、「乙川次郎や被告人が関与した保険金目的による放火等の件を甲野太郎に吹聴された」ということを認定しているが、「補足説明」においては、その太郎が吹聴した放火として乙川宅に対する放火だけを挙げていて、しかも被告人がそれに関与したとは認定していないのであるから、原判決には理由齟齬がある、というものである。
しかし、原判決の補足説明の関係箇所を見てみると、原判決は、乙川が火災保険金騙取の目的で昭和六二年一一月三〇日に自ら又はその共犯者において自宅に放火をしたことについて、被告人がその放火行為自体に関与したとは認定していないが、被告人が昭和六三年四月ころ、乙川から相談を受けて、成功した場合には報酬をもらう約束のもとに、高坂徳治が乙川に債権を有する旨の公正証書を作成するのに必要な手続をし、その公正証書を債務名義として乙川の安田火災に対する火災保険金請求権を差し押さえるなどして、乙川の火災保険金獲得に協力するという形では関与したとの事実を認定している。従って、原判決が「罪となるべき事実」において、「保険金目的による放火等の件」を太郎に吹聴されたとしているのは、乙川宅の火災について、放火のことに限らず、その火災を原因とする保険金の取得のことまで含めて太郎に吹聴されたという趣旨に解される。
また、原判決は、太郎が、乙川宅の火災は乙川が火をつけたものだなどと吹聴するようになったと認定し、その上で更に、太郎の吹聴をそのまま放置しておけば噂が広がって、太郎が捜査機関から追及される事態が生じ、太郎の口から、乙川宅の放火及び保険金詐欺のことだけでなく、被告人が丁田宅放火や戊谷宅放火にも関係していたことまで発覚する可能性が十分考えられたので、被告人としても、太郎の口を封じる必要性があったということを認定している。このような原判決の認定を前提として「罪となるべき事実」の記載を見てみると、「被告人が関与した保険金目的による放火等の件」というのは、一連の放火及び保険金取得を一体的にとらえてのものであると解することができる。そして、原判決は、太郎がそのすべてを吹聴したと認定しているわけではない。太郎が直接吹聴したのは乙川宅の件だけであるが、その吹聴により、被告人が、乙川宅の件に限らず、他の放火及び保険金取得の件を含めて、自分の関与した一連の悪事が発覚しかねないと危惧したというのが、原判決の趣旨であると解される。
従って、原判決には、表現にやや不正確なところがあるとしても、全体としてみれば、理由の齟齬があるとは言えない。論旨は理由がない。
三 訴因に関する訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は要するに、本件の訴因は、被告人が乙川と共謀の上、太郎を殺害してその死体を遺棄しようと企て、被告人が、殺意をもって太郎の頸部を絞め付けるなどして、同人を窒息死させて殺害し、続いて被告人が、太郎の死体を普通乗用自動車で貝殻等捨場まで搬送してそこの穴に投棄し、更に乙川が、二度にわたりタイヤショベルを操作してその穴にほたて貝殻を落とし込んで死体の上に被せ、そのまま放置して太郎の死体を遺棄した、ということを骨子とするものであり、これに対し原判決は、訴因変更手続を経ないで、その実行行為者について、「乙川次郎又は被告人あるいはその両名」という形で択一的な認定をしているが、この場合には訴因の変更手続を要するのであるから、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というものである。
しかし、原審における訴訟の経過をみると、検察官側では、被告人の行為として、乙川との間で、太郎を殺害してその死体を遺棄することを共謀したとの事実、及び、右の共謀に基づき、被告人が単独で、殺害行為を実行するとともに、その死体を貝殻等捨場まで搬送して穴に投棄するまでの行為をしたとの事実を訴因の中に掲げて、これを立証しようとし、他方、被告人及び弁護人側では、そのいずれの事実をも全面的に否定して争ってきたことが明らかである。そして、審理の結果、原判決においては、検察官が立証しようとした事実のうち、右の共謀の事実までは認められるが、もう一つの被告人が実行行為を担当したとの事実については、証拠上疑問が残るため、これを認めることができないとされて、結局、原判示のとおりの択一的な認定がなされるに止まったのである。
このような認定がなされた場合には、被告人として、殺人及び死体遺棄について、共謀者としての刑事責任を免れないが、同時にその限度で責任を負うにすぎない。要するに、自分が実行行為を担当したか否かについては、防禦が功を奏したのである。そして、その結果として原判示のような択一的な認定がなされたとしても、そのことにより被告人が格別の不利益つまり不意打ちを受けたことにはならないはずである。従って、本件の場合には、訴因変更を要しないと解するのが相当であるから、原審の訴訟手続には所論のような法令違反はないと言わなければならない。論旨は理由がない。
四 自白の任意性に関する訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は要するに、被告人の警察官に対する自白は、取調べを担当した山本警部から、被告人の子供達が写っている五枚の写真を示された上で、自白をしなければ、子供達の通う学校等に聞き込みに行った際に、先生や友達に、その子供の父親が人殺しであることを話すなどと言って脅迫をされたため、やむなくなされたものであり、検察官に対する自白も、この脅迫の影響下になされたものであるから、その結果作成された各自白調書にはいずれも任意性がなく、従って、これらの自白調書を証拠として採用して事実認定に供したという点で、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というものである。
しかし、原審記録によると、これらの自白調書については、供述の任意性が十分に肯定される。即ち、被告人の前妻である丙山花子の原審第六四回公判における証言によると、同女は、昭和六三年八月のお盆を過ぎてから一週間か二週間後に、たまたま家にいるときに突然警察官の訪問を受けて、被告人の性格等を聞かれるとともに、被告人が事実を否認しているが、子供の写真を見せれば気持が落ち着くのではないかという趣旨で、子供の写真の提供方を求められたので、これに応じて、その二、三日後に、同じ警察官が来たときに、子供達の写真五枚を渡したことが認められる。一方、山本警部の原審第六三回公判における証言によると、被告人は、八月二五日の夕方に、その五日後の八月三〇日に私選弁護人として選任された弁護士と接見をし、その際に同弁護士から本当のことを言った方がよいと言われたとして、その後の取調べで、自分と乙川が太郎を殺害することを共謀し、乙川がこれを実行したという趣旨の供述を始めたが、自分が殺害の実行を担当したと述べるには至っていなかったこと、丙山花子から写真を預かったのは九月一日であるが、被告人は、その写真を見て喜んでいたものの、写真を見たことにより警察官に対する供述内容を変えたわけではないことが認められる。その後、被告人は、九月二日に松浦検事から取調べを受けたが、その立会をした検察事務官濱谷欣司がその経過を克明に記録して、九月三日付けで取調結果報告書を作成している。そして、それによると、被告人は、かなり長い時間逡巡した後にようやく自ら口を開いて、自分も乙川とともに、太郎の殺害とその死体遺棄の実行行為に関与した旨の自白をし、その自白どおりに同日付けの供述調書が作成されるに至ったことが認められるのである。
他方、被告人は、原審公判において、山本警部から右のような脅迫をされたと弁明する。しかし、脅迫を受けたとされる時期が、弁護士と接見し、やがてその弁護士を私選弁護人として選任した時期と相前後しているのであるから、本当にそのような脅迫を受けたとすれば、当然にそのことを弁護人に訴え出て、そのような不当な取調べをやめさせるようにしてもらえたはずであるのに、それをした形跡がない。従って、右の弁明自体が信用できないものである。
以上によると、被告人が子供の写真を見せられたことにより心を動かされて、自白をするのが早まったという可能性はあると思われるが、山本警部が所論が言うような脅迫をしたとは到底考えられないところであり、原判決がこれらの自白調書についてその任意性を肯定したことに誤りはない。論旨は理由がない。
五 事実誤認の主張について
1 論旨は要するに、太郎を殺害してその死体を遺棄することについて、被告人が乙川と共謀したという事実はなく、また、被告人がそれを実行したという事実もないのであるから、原判決の認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、というものである。
2 原審記録によると、まず、原判決が「前提事実」(七六丁)として認定した一連の事実関係については、客観的に明白な事柄が多いし、また、所論に鑑み更に検討を加えてみても、所論が言う程の誤りがあるとは認められないのであって、基本的には原判決の認定を肯認することができる。
ただ、右の「前提事実」中、「クラウンの車底部の四か所から貝類外套膜の一部と考えられる組織片様物が採取された」というところは、「クラウンの車底部の四か所から組織片様物が採取され、そのうち二か所から採取されたものが貝類外套膜の一部であることが判明した」とするのが正しく(なお、この点に関する各証拠については、原審において、証拠排除の申立がなされた際の異議棄却決定に示されたとおり、その証拠能力が肯定される。)、また、その他の細部の事項についても、認定が不正確なところが幾つかあるが、これらはいずれも、事実認定の帰趨に影響を及ぼすような性質のものではない。
3 本件においては、太郎が、七月二四日の晩京さいを出た後に、何者かによって殺害され、その死体が合子沢の貝殻等捨場に投棄されたことは、右の「前提事実」のとおり明らかであり、また、右の犯行について、乙川が、自らその実行行為を担当したか否かは別として、犯人として罪責を負うべき立場にあったことも、乙川自身の供述を含む関係証拠から十分に認められる。
そこで、被告人がその犯行につき乙川との間で事前に共謀をしたと認定することができるか否かということに焦点を当てて、原審記録のほか当審における事実取調べの結果をも加えて更に検討してみると、右についての判断をするに当たって、特に注目される事項として指摘しなければならないのは、次のようなことである。
(一) 乙川は、太郎が乙川宅の火災は乙川の放火によるものだと他に吹聴していることを聞き知ったため、このまま放置しておけば、乙川宅放火だけでなく、乙川が関与した保険金目的による他の放火事件にも捜査の手が伸びてそれが発覚するのではないかと強く危惧し、また、これまで度々太郎から理不尽に金を要求されてきた上に、太郎が乙川の妻の退職金まで取ってやるなどと豪語している話も伝わってきたため、太郎に対して少なからず悪感情を抱き、更に、以前に葛西から聞いた話を思い起こして、死体を貝殻等捨場に投棄すれば発覚することもないと考えた。そして、これらのことを動機として、太郎を殺害してその死体を遺棄することを企てるに至り、被告人にその話を持ちかけて、仲間に加えようとしたことが明らかである。
一方、被告人の側にも太郎を殺害する動機があったと言える。即ち、被告人は、自分としても、乙川宅の火災について、乙川に頼まれて保険金請求手続に関与しており、しかもそれまでの経緯からみて、その火災が放火によるものであることに気付いていたと疑われてもやむを得ない立場にあったのであるから、太郎にそのような吹聴をされれば、その放火について捜査の手が自分にも及んでくるのではないかと心配したはずである。特に被告人の場合、後に述べるとおり、そのほかに丁田宅放火や戊谷宅放火にも関与しているのであるから、なおさらのことである。実際に被告人は、乙川から、太郎を殺そうという話を持ちかけられてこれに賛同し、乙川の案内により、太郎殺害後に死体を投棄すべき場所と考えられていた合子沢の最終処分場に赴き、貝殻等捨場の穴を確かめているのである。
(二) 太郎が七月二四日の晩に京さいを出た後、帰宅することなくその夜のうちに殺害され、その死体が貝殻等捨場に投棄されたことは明らかであるが、京さいを出るときまで太郎と一緒にいたのが乙川と被告人である。即ち、被告人は、当日乙川から電話連絡を受けて、午後四時ころまでに「アルプス」に赴いたが、やがて乙川も太郎を自分の軽自動車に乗せてアルプスに来たので、同店において、それぞれ飲物を注文して、三名で一時間ほど話をした。乙川は、一足先にアルプスから出て行ったが、しばらくしてからアルプスに電話をよこして、被告人に対し、太郎を連れて乙川の馴染みの店である京さいに来るように求めてきた。被告人は、少し間をおいてから京さいに赴いたが、乙川と太郎が先に来ていたので、京さいにおいて、午後六時ないし七時ころから二時間程度、ビール、イカ刺し、盛り刺しを注文して飲食をしながら、再び三人で種々話をしているのである。
(三) 京さいでの飲食が済んでからの状況について、まず乙川と太郎が会館用出入口から出て行き、被告人がその数分後に、一旦は会館用出入口とは反対側の出入口に向かいながら、すぐに戻ってきて会館用出入口から出て行ったこと、そして、乙川は、いつもと違って、酔って足がもつれたりしてはおらず、被告人にも酔っている様子がほとんど見られなかったが、太郎だけは、かなり酔っていたようで、誰かが支えなければ歩けず、乙川から抱きかかえられるようにして出て行ったことまでは、京さいの従業員らの供述により認められるが、その後の経過については、乙川が、そのころから家にたどり着いたころまでの記憶がどうしてもよみがえらないと述べ、また、被告人も、後にクラウンの中での尿失禁に関連して指摘するとおり、全く信用しがたい話をしているため、真相が不明である。この時間帯は、太郎が殺害されるのにつながっていく重要な時期であることからすると、被告人と乙川の両名がそれぞれ、自らの立場を守るため何か重要な事実を隠しているものとみざるを得ない。太郎の胃の内容物から京さいでの料理にはなかったものが検出されたということも、その間の事情を物語っているように思われる。
(四) 被告人と乙川の両名は、それぞれ一旦帰宅した後、その夜のうちに再び顔を合わせてしばらくの間行動を共にしている。即ち、乙川は、第一中央荘の当時の被告人宅に電話をかけたところ、被告人の内妻春子が応対に出て、被告人がまだ帰宅していないことが分かったので、同女に対し、被告人から乙川宅に電話をするように伝えて欲しいと、被告人への連絡方を依頼した。一方、被告人は、春子からポケットベルで呼ばれて、すぐに春子に電話をしたが、乙川からの連絡の趣旨を伝えられると、即座に「分かった」と言って電話を切った。被告人は、その後しばらくして帰宅し、春子に頼んで軽自動車を運転させて、その車で乙川宅に向かったが、その間、自宅を出る前に一回ようやく乙川への電話が通じて、乙川と電話で話をし、また、乙川宅近くの公衆電話がある商店の前まで来たときにも、乙川に電話をかけると言って車から降りている。そして、その際、一旦は春子に「もう帰っていい」と告げたが、春子が車の方向転換をするときにその後部をコンクリート壁にぶつけるなどして手間取っているうちに、もう一度春子の車に乗せてもらう気になり、その車で乙川宅まで行った。すると乙川が、近くの空き地に尾灯を付けたまま停まっていた白っぽい自動車から降りてきて、春子の車の後部を見たりしていたが、やがて被告人は、春子の問いに対し、「待っていなくてもいい、帰れ、帰れ」と言って帰宅を促した上、乙川の運転する白っぽい車の助手席に乗り込んでどこかへ出かけて行き、しばらくしてから帰宅しているのである。被告人が一体どのような緊急な目的があって、その日長時間にわたり話をしたはずの乙川との間で、夜かなり遅くなってから頻繁に電話で話をしたり、待ち合わせをして再び一緒に行動したりしたのか、また、どこへ何をするために白っぽい車で出かけて行ったのかについて、被告人からは納得のいくような説明がなされていない。
(五) 被告人は、七月二四日当時、茶色のトヨタクラウンを使用していたが、その助手席シートには、太郎の血液型(O型)と一致する人尿が付着していたこと、そして、その人尿から催眠・鎮静剤トリアゾラムのヒト尿中主代謝物である1―ヒドロキシメチルトリアゾラムが検出されたが、トリアゾラムは、睡眠導入剤ハルシオンの有効成分として含有されているものであることが関係証拠により明らかである。従って、太郎は、殺害される前に知らないうちにハルシオンを服用させられ(太郎が自らの意思で服用したとみる余地はない。)、かつクラウンの助手席に乗車中に尿を失禁したものと推認される。失禁をした時期について、被告人は、太郎が乙川の事務所で飲み直すため市役所付近でクラウンから乙川の車に乗り換えたあとを見ると、助手席のあたりが濡れていたと説明しているが、尿を失禁するような状態でいながら更に飲み直すということ自体が甚だ不可解であって、右の経緯に関する説明には看過することのできない虚偽が含まれているものと判断せざるを得ない。そして、太郎が自動車の中で尿を失禁したのは、そこで殺害行為が行われたからではないかと推認するのが最も合理的である。
(六) 被告人は、不眠症のため、昭和六一年六月ころから青森市中央<番地略>の五味内科医院に通院して、ハルシオンの錠剤の投薬を受けたことがあり、それが昭和六二年五月までの間に、合計六一日分に達していた。そして、昭和六三年六月ころ、このような錠剤を粉にしたものが弁当等に付いてくる醤油入れのような容器に入れられて、西滝にあった被告人の事務所の机の引出しに何個か置かれていることが春子にも分かっていたが、同年九月に春子が警察官と共に事務所の机の引出しの中を確認したときには、それが一つもなかった。このことから、太郎にハルシオンを服用させるについて、被告人の意思が何らかの形で働いていたのではないかと、うかがわれなくもない。
(七) 八月二日に太郎の死体が発見されたことが端緒となって警察の捜査が始まり、八月七日にまず乙川が容疑者として逮捕されたが、被告人は、その日青森から東京方面に逃走し、八月一九日に川崎市で逮捕されるまで身を隠している。被告人が本当に無実であるならば、そのような行動に出る必要はなかったはずである。ことに被告人の場合、形式的にせよ養父に当たる太郎が突然死亡しているわけであるから、その行動が、そのような非常時におけるものとしては極めて不自然である。
(八) 被告人は、八月一九日に死体遺棄の疑いで逮捕され、当初犯行を否認していたが、八月二五日、後に私選弁護人に選任された弁護士と接見した後、警察官による取調べに対し、太郎を殺害し、その死体を遺棄したことについて、共謀をしたという限度ながら、犯行に関与したことを概略認めるに至っている。被告人は、八月二八日、乙川と共謀して太郎を殺害したとの被疑事実により改めて逮捕されたが、その被疑事実について、八月二八日の司法警察員による弁解録取に際しては「殺人はしていません」と述べた(殺人の実行行為をやっていないという趣旨であろう)ほかは、八月三〇日(この日私選弁護人が選任されている。)の検察官による弁解録取に際しても、また、八月三一日の勾留質問においても、「事実はそのとおり間違いない」旨答えている。そして、九月二日の検察官の取調べにおいて、京さいを出てからの行動を問われたのに対し、自白の任意性についての判断の中で説示したとおりの経過により、太郎は自分と乙川の二人で殺した旨、つまり自らも実行行為に加担した旨の供述をするに至り、続いて九月一七日及び九月一八日には、検察官に対し更に詳細な自白をしているのである。
被告人の捜査段階における自白の内容については、原判決も指摘するとおり、その信用性に疑問を抱かせるような箇所が幾つかあることは事実であり、そのため実行行為の具体的内容を認定することが困難であるが、右のような自白の経緯を考えると、本件においては、被告人が捜査段階で、自分も共犯者として関与したとして、自らの刑事責任を認める趣旨の供述をしたこと自体に、少なからず重要な意味があると思われるのであって、右の点を含めて全面的に信用性がないとしてこれを度外視するのは相当でない。
(九) 乙川は、太郎に対する殺人及び死体遺棄の事実のほか、戊谷宅の放火、小泉宅の放火及び保険金詐欺、丁田宅の放火及び保険金詐欺の各事実についても起訴されて、平成三年九月一八日には懲役一三年の有罪判決を言い渡され、控訴することなく服役しているが、その判決においては、乙川と被告人との共謀に基づいて、被告人がその実行を担当して太郎を殺害するとともに、両名が共同してその死体を遺棄したと認定されている。乙川は、当審の証人として、服役中の黒羽刑務所において改めて尋問を受けた際に、太郎殺害及び死体遺棄の事件について、被告人に対する一審判決の結果、つまり乙川の証言が信用されず、被告人の言い分が認められて、主犯は乙川の方であると認定されたことを聞かされて、非常に驚き、かつ憤慨もした旨証言している。そして乙川は、自分の役目は太郎を誘い出すことであったにすぎず、被告人が嘘をついているという趣旨のことを述べているのであるが、被告人は、その後の公判において、この乙川証言についての弁明の機会を与えられたのに、言葉を濁して反論をしようとしない。
4 原判決が認定した「前提事実」を踏まえた上で、右の3の(一)ないし(九)において指摘したところを総合すると、太郎の殺害及びその死体遺棄は、乙川と被告人の共謀による犯行であること、そして、その共謀は、遅くとも両名及び太郎が相前後して京さいから出て行くころまでの間に成立していたことが推認されるのである。なお、「前提事実」によると、七月一四日ころには、被告人が、乙川において太郎殺害をAなる者に依頼していたことを知って腹を立てて、太郎殺害計画から離脱する旨表明したというのであるから、それまで一旦成立していた共謀がそこで崩れたようにも見えるが、その後においても二人が相変わらず頻繁に出会って、緊密な連絡を保ち続け、その上で、七月二四日に右3(二)ないし(四)で指摘したような行動に及んでいることからすると、二人の共謀は復活したと認めるのが相当である。
5 所論は、被告人が殺人等の共謀をしたと考えた場合、太郎殺害の前後における被告人や乙川の行動が、太郎殺害などという重大な犯罪の共謀をした者の行動にしてはおかしいと主張する。所論がそのような行動として指摘するのは、被告人が太郎に対し、乙川が太郎殺害を計画していることを教えて忠告したということ、被告人と乙川は、七月二四日の夜に二人が別行動をとるようになった後の連絡方法をあらかじめ決めておかず、お互いにポケベルの番号すら知らなかったこと、乙川が被告人と連絡をとるのに、直前まで太郎と一緒におり、しかも顔も良く知られているはずの京さいに二度も電話をしていること、その夜二人が再び会うことになった際、被告人がわざわざ春子の運転する車で出かけて、事情を知らない同女にその場面を目撃させていること、被告人が、七月二四日の朝には、折込広告を見て商品の仕入れに出かけたり、夜に帰宅した後も、ビールを飲みながら平然と鋤焼を食べ、間もなく寝てしまうというように、日常的に平穏な過ごし方をしていること、などである。
しかし、関係証拠によると、被告人が太郎に忠告をしたというのは、太郎に対し「乙川が○○組の若い衆(Aを指す。)とこそこそしている。ヤバイな。やめた方がいい。」という趣旨の言葉を述べて、太郎が乙川から更に金を脅し取ろうとしていたのを少し抑えようとしたということであって、その際に太郎殺害計画のあることまでを打ち明けてはいないことが認められる。また、重大な犯罪を企て、これを実行したという場合に、その者が常に用意周到に事を運ぶとは限らず、一見不合理と思われる行動に出ることが幾らでもあり得るし、他方、ことさら平静さを装うということも少なくない。従って、所論が挙げている被告人や乙川の行動は、必ずしも共謀があったことと矛盾するとは言えないのであり、前記の判断を左右するに足りない。
その他詳細な所論に鑑み、種々の観点から検討してみても、太郎殺害及び死体遺棄について、被告人が事前に共謀者として加担したことはないとする所論を採用することはできない。
6 以上のとおり、被告人が乙川との間で、太郎を殺害し、その死体を遺棄することを事前に共謀したとの事実については、推論の過程や判断に当たっての重点の置きどころが原判決と必ずしも同一ではないが、その結論において、原判決の認定を相当として是認することができる。そして、直接の実行行為の具体的な内容など詳細な状況については、原判決が説示するとおり、被告人及び乙川の供述にそれぞれ信用しがたいところがあって、真相が分からないことに変わりがないが、太郎殺害とその死体遺棄の各犯行が右の共謀に基づくものであることは疑いなく、また被告人及び乙川以外にその犯行に関与した者がいるとは認められない。従って、原判決が認定した限度では、原判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認はないと言うことができる。論旨は理由がない。
(丁田宅放火関係の控訴理由に対する判断)
一 理由不備の主張について
論旨は要するに、原判決は、丁田宅に対する放火の実行行為者について、「被告人又は乙川次郎あるいは甲野太郎のいずれかにおいて」というように、実行犯が誰かを特定せずに択一的な認定をしているが、そのような認定は、「罪となるべき事実」の記載として具体性を欠くものであるから、原判決には理由不備の違法がある、というものである。
しかし、右の点については、前記「太郎殺害関係の控訴理由に対する判断」のうち一の「理由不備の主張について」の箇所で説示したところと同様の理由により、丁田宅の放火については、原判示のような「罪となるべき事実」の認定の仕方も、やむを得ないこととして是認されるのであり、判決の理由不備に当たるものではない。論旨は理由がない。
二 訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は要するに、本件の訴因は、被告人が乙川次郎、丁田一郎及び甲野太郎と共謀の上、丁田宅に放火をしてその火災保険金を騙取しようと企て、放火については自ら単独でその実行をした、ということを骨子とするものであり、これに対し原判決は、訴因変更手続を経ないで、その実行行為者について、「被告人又は乙川次郎あるいは甲野太郎のいずれかにおいて」という形で択一的な認定をしているが、この場合には訴因変更手続を要するのであるから、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というものである。
しかし、この点についても、前記「太郎殺害関係の控訴理由に対する判断」のうち三の「訴因に関する訴訟手続の法令違反の主張について」の箇所で説示したところと同様の理由により、本件の場合には、訴因変更を要しないと解するのが相当であるから、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はないと言わなければならない。論旨は理由がない。
三 事実誤認の主張について
1 論旨は要するに、丁田宅に放火をして火災保険金を騙取することについて、被告人が乙川、丁田及び太郎と共謀をしたという事実はなく、また、被告人がそれを実行したという事実もないのであるから、原判決の認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、というものである。
2 原審記録によると、原判決が「前提事実」(三四丁)として認定したとおりの事実が認められるが、それによると、丁田宅に関する右の各犯行に乙川、丁田及び太郎の三名が共謀者として関与していたこと、そして、被告人も、その火災保険金が支払われるに当たり、乙川が丁田から火災共済金請求権を譲り受けたとする債権譲渡契約書等の起案をしたり、自らも丁田に対する架空の債権に基づき、右の請求権を差し押さえて配当を受けたりするなど、この共謀に参画していたと疑われてもやむを得ないような行為をしたことが明らかである。
3 原判決は、右の「前提事実」のほか、丁田の供述を主要な証拠として、被告人が右の三名と共謀の上、丁田宅に放火をして火災保険金を騙取しようと企てた旨の認定をしている。そこで、丁田の供述状況を検討してみると、まず、丁田の平成元年三月二日付け及び同月三日付け各検察官調書に、この事件と被告人とのかかわりをうかがわせる事項として、概ね次のような趣旨の供述記載がある。
(一) 丁田宅の火災は、保険金を騙し取るために火をつけたことによるものであり、その放火は、丁田、乙川、太郎、被告人が相談してやったことに間違いない。
(二) 昭和六一年一月ころ、太郎や乙川に勧められて、自分の家に放火して保険金を取ることに同意していた。多分四月末ころ、乙川と一緒に厚生年金会館のロビーに行くと、間もなく被告人、太郎、そして太郎の運転手をしているBが来て、五人でそこのレストランに入り、Bを除く四名が同じテーブルで食事をしながら話をしたが、その際、太郎が私に「人間は七転び八起きだ。立ち直るためにはどうせ一回素っ裸にならなければならない。家が燃えてしまっても土地が残るし、更地にもなる。借金を返した後に金が残れば当座の金になる。一番いいではないか。」という趣旨のことを言った。
(三) 被告人は、その後私に、私の妻(夏子)が居るところでは火をつけられないからとして、妻の仕事や勤務日程を問い質してきた。そして、私が、既に妻とは別居していて、妻の勤務日程は分からない旨答えると、被告人は、妻の休みも知らないことをなじる言葉を吐いた上で、「よし分かった。それでは俺がかかあの様子調べる。」という趣旨のことを言った。
(四) 四月末か五月初めころ、厚生年金会館のロビーで乙川、太郎、被告人の三名と会った際に、被告人から「お前のかかあは家に戻っていないみたいだな。夜に行ってみても家に電気がついていない。」という趣旨のことを言われた。なお、この時かあるいはその前に厚生年金会館で会った時かに、被告人から、丁田宅の家の鍵を持ってくることを求められたので、丁田宅から鍵を持ち出して、五月一二日ころ、その鍵を乙川に手渡した。
(五) 乙川との間で二回目の公正証書を作ってから一週間位後のことと思うが、被告人と桜川の喫茶店「むう」で会う約束をして、そこへ行ってみたところ、被告人と乙川が来ていた。都合により「むう」ではなく、被告人が乗ってきた自動車に乙川とともに乗り込んで、三人で話をしたが、その際、被告人が私に「このままでは銀行に全部保険金を持って行かれてしまうから、乙川との間でやったように、お前が俺に一〇〇〇万円位借金があることにして公正証書を作ろう。」という趣旨のことを言い、更に、公正証書を作るのに必要であるとして、被告人に対する私の領収証を準備しておくように求めてきたので、これを承諾した。なお、私には被告人からの借金はない。
(六) それから一日か二日位して、奈良のマイカー総合センターで乙川と被告人に会ったが、そこで、被告人から改めて、公正証書を作らなければならないとして署名等を求められ、委任状と六枚位の領収証に、被告人に言われるまま、住所や氏名を書き、実印を押した。もっとも、領収証には、乙川の事務所にあった認印を押したような気もする。
4 丁田は、自らも丁田宅に放火をして保険金を騙取したとの事実で起訴されたが、自らの事件の公判においても、被告人の事件の公判に証人として呼ばれて尋問を受けた際にも、自分がこれら犯行に加担したことを否認した。
しかし、丁田は、平成三年九月一八日に、右の事実について懲役五年の有罪判決を言い渡されて、控訴することなく刑に服し、平成六年五月一八日に仮出獄を許された。そして、本件の原審第九三回及び第九四回各公判で再度証人として尋問されているが、その際には、自分の裁判では起訴事実を否認したけれども、捜査段階で述べたことに間違いはなく、裁判で否認をしたのは、太郎、乙川、被告人の三人が私の弱味につけ込んで、いわば私を騙してみんなで保険金を取ろうという計画を立てたことに、私も便乗させられてしまって悔しいという気持があったことと、また、家族のことや久栗坂での名士たる立場を考えて、自分の名誉を傷つけたくもなかったためである旨の供述をしている。
ただ、この再度の証人尋問の際の供述中には、被告人の方から夏子の様子を見て来るという話はなかったと思うとか、乙川、太郎、被告人と厚生年金会館に集まったのは一回だと思うとか、厚生年金会館のロビーで乙川と太郎に会ったときには被告人がいなかったと思うとか、鍵を持って来いということは乙川から言われたとか、被告人から渡された委任状と領収証は、乙川の事務所で別の機会に作成しており、そのときには被告人がいなかったとかというように、捜査段階での供述内容とは一部相違している箇所がある。
5 このような丁田の一連の供述の信用性について考察を加えてみると、結論として、同人の捜査段階における供述は、基本的に信用することのできるものであると認められる。そして、その根拠として言えるのは、同人が、既に自らの刑が確定し、仮出獄後の段階において再度証人として尋問を受けた際にも、大筋では捜査段階でした供述を維持していること、同人が自らの公判等で捜査段階の供述調書の内容と異なる供述をしたことについては、それなりの納得し得る理由が述べられていること、再度の証言の際に、捜査段階の供述と一部相違する供述をしたのは、その証言までに、事件当時からみて既に八年という長年月が経過し、しかもその間に服役期間も介在しているために、記憶が不鮮明になったことによるものと考えられること、更に、その証言の中で、捜査段階での供述内容について、本当はそうでないと主張したのに捜査官と妥協せざるを得なかったことも一部あるとして、その点を指摘するなど、そこには真実を述べようとする態度が見受けられることなどである。
6 一方、原判決は、乙川の供述について、同人が虚偽の供述をしているのではないかとの疑念があるとして、全体としてその信用性が低いと判断している。
乙川は、丁田宅の放火と保険金詐欺を共謀したのは乙川、太郎、丁田及び被告人の四人であり、それを実行したのは被告人である旨一貫して供述し、平成元年三月一日付け及び同月二日付け(二通)各検察官調書その他において、その経過を詳細に説明しているが、その中には、この事件に深くかかわった者として、被告人の名前が随所に登場する。例えば、三月下旬ころ、太郎が住む△△ハイツに行き、そこに居た被告人に誘い出されて、被告人、乙川、太郎の三人と青森港三千頓岸壁に行った際に、車の中で丁田宅の放火や全労済への保険加入についての話が交わされたということ、四月中旬ころ、厚生年金会館のレストランで、乙川、太郎、被告人、丁田が会って話をした際に、被告人が丁田宅に火をつける話をした上で、丁田からその妻夏子の様子を聞き出そうとし、また、多分この日に、丁田宅の鍵の話が出て、丁田が鍵を持ってきて乙川に渡すことになったということ、喫茶店で被告人から丁田宅の間取りを聞かれたので、備付けのナプキンに図面を書きながら説明してやったことがあるということ、五月中旬ころ、火をつけてくれるやつに払う金として、自分が立て替えて現金五〇万円を被告人に渡し、保険金が下りた後に被告人からその返還を受けたということ、丁田宅が火事になる一週間位前に丁田から鍵を受け取って太郎に渡し、同じころ、喫茶店で被告人からアリバイを作っておけという話をされたということ、丁田宅が火事になる二、三日前、乙川、被告人、丁田の三人で会ったときに、被告人が丁田の本妻の様子を見るため家の近くで張り込みをしたときの状況を話していたということ、火事から一週間位して、被告人から「事務所から玄関へ入る戸が渋くてなかなか開かず、火をつけるために家の中に入るのが大変だったらしいよ。」などと言われたということ、火事の数日後、丁田から電話で警察での取調べの様子を知らせてきたので、その話をその都度太郎や被告人に伝えていたということ、火事から一、二週間経ったころ、被告人に言われて、丁田に対し、全労済へ火事の報告をすることを促したということ、家財道具分の保険金は出ないとか、みちのく銀行に保険金を差し押さえる動きがあるとかという話を、その都度被告人に連絡したということ、被告人、乙川、丁田の三人が相談して、みちのく銀行に保険金を全部持って行かれないようにするために、乙川が丁田から保険金請求権を譲り受けて、保険金を差し押さえることにしたということ、そのころ、被告人が自分に対し、保険金請求のことについては今後太郎は関係がなくなった旨述べていたということ、などがこれに該当する。
乙川のこのような供述には、原判決が指摘するような理由により、全面的には信用しがたい点があることは否定できないが、他方、丁田の前記供述と実質的に符合する事項が多々存することも事実である。従って、乙川の供述も、少なくとも丁田の供述と一致する範囲では、信用することができるように思われる。
7 以上を総合すると、被告人が、太郎、乙川及び丁田との間で、丁田宅に放火をして火災保険金を騙し取ることをあらかじめ共謀したこと、そして、被告人、太郎、乙川のいずれかにおいて(丁田については、丁田宅の火災当時、浪岡の小笠原やす子方にいて、放火の実行行為をしていないことが証拠上明らかである。)、原判示第一の一のとおり丁田宅に対する放火行為を実行したこと、更にその上で、原判示第一の二のとおりの経過により、保険金が騙取されていることを認定するのに十分である。
被告人は、捜査段階以降終始、丁田宅の放火及び保険金詐欺に関与したことはなく、公正証書を作って保険金請求権を差し押さえるなどの手続をしたのは、太郎から依頼されて、太郎が丁田に対して有する債権の取立てをしようとしたものにすぎないなどと弁明するが、前記の丁田の供述その他の関係証拠に照らすと、その弁明はとうてい信用できないものである。その他所論が指摘する種々の問題点について、逐一検討を加えてみても、右の認定を覆すに足りるような事由を見出すことはできないから、原判決に所論のような事実誤認はないと言わなければならない。論旨は理由がない。
(戊谷宅放火関係の控訴理由に対する判断)
一 論旨は要するに、戊谷宅に放火をすることについて、被告人が乙川と共謀をしたという事実はなく、また、被告人がそれを実行したという事実もないのであるから、原判決の認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、というものである。
二 原審記録によると、原判決が「前提事実」(六三丁)として認定したとおりの事実が認められる。なお、右の「前提事実」のうち、被告人が工藤勝政から、火災保険の掛金を使ってしまったためその保険が失効したと聞かされたときに、勝政を叱り付けたこと、同じく、勝政が警察から事情聴取を受けるに際して、勝政に対し被告人の名前を出さないようにとの指示をしたことについては、被告人が原審公判で否定をしているが、捜査段階では、そのようなことがあったことを明白に認めていたのである。
三 右の「前提事実」のとおり、被告人が、すでに競売開始決定がなされている戊谷宅の土地と建物を、六〇万ないし八〇万円(金額につき関係者の話が一致しない。)という安い値段でわざわざ買い受けることにし、しかも、戊谷に対しては格別明渡しを急がせるようなことをしていないこと、右の買受けについては、勝政の名義を借り同人が所有権移転登記を経由するという形式を履んだが、被告人は、その勝政に対し、火災保険に加入するように執拗に指示をして、全労済の保険(保険金八〇〇万円)に加入させたり、戊谷宅の火災について勝政が警察から事情聴取を受けるに際し、被告人の名前を出さないようにと指示したり、勝政の不手際でその保険が失効してしまっていることが分かったときに勝政を叱り付けたりしていること、そして、その保険加入後三か月足らずのうちに戊谷宅が放火の被害に遭っていることなどを併せ考えると、被告人が戊谷宅の放火に深く関与していたのではないかと強く疑われるのは当然である。
なお、所論は、被告人としては、火災の少し前ころ、勝政宛の手紙を戊谷宅に出して、戊谷に早く明け渡させるように圧力をかけていたし、また、被告人が勝政の名義で戊谷宅を取得するにはそれなりの理由があったのであるから、放火をするつもりで戊谷宅を取得したわけではないなどと主張するが、いずれの点も、右の疑いを晴らすに足りるものではない。
四 次に、放火の被害に遭った戊谷三郎の供述をみると、書証として取り調べられた乙川の公判調書謄本中に、戊谷が昭和六二年二月初めころに厚生年金会館で被告人と初めて会った際に、被告人から火災保険加入の有無を尋ねられたことがある旨の明確な証言記載があるが、戊谷が右の点について殊更に虚偽の供述をする理由が見当たらない。また、右の点については、乙川も、捜査段階においても原審公判で証言をした際にも、同様な供述をしている。これらの供述は、被告人と戊谷宅放火との結び付きの有無を判断する上で軽視できない証拠である。
五 ところで、関係証拠によると、乙川は、戊谷とは家族ぐるみで親しくしていたが、戊谷の窮状を見かねて被告人に相談を持ちかけ、その結果、戊谷宅を被告人に買い取らせることにしたものであること、戊谷宅の火災のあった夜には、戊谷やその家族らが乙川の主催した花見の宴に誘われて青森に来ていて、そのまま乙川宅に泊まったため、戊谷宅が無人の状態になっていたが、放火はそのようなときを選んで行われていること、従って、この放火行為については、乙川が自らは実行をしていないものの、共犯者として関与していることが明らかに認められる。そして、乙川は、捜査段階においてもまた原審公判で証言をした際にも、自らが放火のお膳立てをしたことを率直に認めているほか、この事件と被告人とのかかわりについても、次のように供述している。即ち、乙川は、被告人から戊谷宅の鍵の入手方を依頼されてこれを承諾し、戊谷がマイカー総合センターに来た際に、戊谷が乗ってきた自動車を一時借り出し、その機会にその車のエンジンキーと一緒にあった戊谷宅の鍵を利用して合い鍵を作成し、それを被告人に交付したり、また、被告人から戊谷の家族を誘い出すことを依頼されて、五月九日に花見をすることにし、その予定を被告人にも伝えたりもした、と言うのである。
乙川の供述については、その信用性を慎重に吟味しなければならないが、右の鍵の件と花見の件に関するところなどは、その内容が具体的で、かつ格別不自然なところもなくて、大筋においてこれを信用することができる。所論は、乙川の供述について、内容のあいまいさ、乙川の記憶と客観的事実との食い違い、供述の変遷状況などを挙げて、その信用性が疑わしいと強調するが、右の諸点について、所論に鑑み更に検討を加えてみても、いずれも乙川の供述の信用性に疑いを生じさせるまでには至らない。
六 一方、被告人は、捜査、公判を通じて犯行を全面的に否認し通しているが、捜査段階では、戊谷宅の火災は乙川の放火によるものと思うと述べながら、乙川に責任を追及したことがあるかと問われて「答えたくない」と述べたり、前記のとおり、勝政を叱ったり同人に指示をしたりしたかどうかという重要な事項について、捜査段階と原審公判段階との間で供述を不自然に変遷させたりしていることからすると、その供述の信用性には極めて疑わしいものがある。
ところで、被告人は、昭和六二年五月当時は盛岡市新田町の「Cビル二〇七号室」に居住しており、乙川にはそこの電話番号を教えていないとか、五月九日には盛岡市内で菅原という人物を探していたし、翌五月一〇日には、春子、Dと一緒に債権の取立てのため水沢まで出かけているから、戊谷宅の火災の時刻(一〇日未明)に戊谷宅のある弘前に行けるはずがないとかという趣旨の弁明をしている。
しかし、右Dは、原審第九二回公判において、当時右の被告人宅に出入りして電話当番のようなことをしていたこともあり、春子のビデオレンタル店の会員証を使わせてもらった上で、ビデオを借りてきて被告人宅で見たりしていたが、その被告人宅に乙川から二回ほど電話がかかってきたことがある旨、そして、五月一〇日には、被告人に言われて、春子と一緒に水沢市の菅原のところへ債権取立ての関係で行ったが、そのとき被告人は行っていない旨証言している。また、春子は、原審第七八回公判において、幾つかあいまいな供述をしているものの、Dが出入りしていたこと自体は肯定する証言をしているし、平成元年一月三〇日付けの検察官調書では、ビデオの件につきDの証言を裏付ける供述をしている。そして、この調書で更に、五月九日には、被告人と一緒に、盛岡地方裁判所で強制執行の申立書を提出してから青森に行き、E荘に居住する春子の妹のF(原審で証言した際にはF’姓)のところに立ち寄ったが、翌一〇日の朝早く盛岡に帰ってきた上、被告人に言われて、Dと二人で水沢市に債権の取立てに行ったとか、昭和六二年五月当時、土曜日から日曜日にかけて、被告人とともに青森市に行くことがよくあったが、そのような折に、被告人が、妹の部屋に来てから途中で出かけて夜中に帰り、朝方まだ妹が眠っているうちに春子とともに盛岡に帰るということもあった(Fも原審においてそのことを裏付ける証言をしている。)とかという具体的で特徴的な内容を含む供述をしているのである。Dについては、記憶に不正確な部分があることや同人が被告人との関係が必ずしも良好に経過していたわけではないこと、また、春子についても、当時別の男性と交際中で被告人のことに関わりたくない気持でいたことなど、所論が指摘するような事情があるとしても、同人らが殊更に虚偽の供述をしたとは考えられないのであって、これらの証拠によると、五月九日及び一〇日ころにおける被告人の行動について、同人らが供述するとおりの事実を認めることができる。
なお、被告人は、原審第九九回公判において、春子作成にかかる金銭出納帳(押収物符号九)の五月九日欄にビールを三〇〇〇円で購入した旨の記載があることなどから記憶が喚起されたとして、その日には強制執行申立ての相手方である伊藤幸正方でビールを飲んでいたから、盛岡市内にいたはずであるということをも弁明の事情として付け加えているが、被告人が検察官から平成元年二月七日に取調べを受けたときには、五月九日の行動について、その日に盛岡地方裁判所に行き、工藤仁志の代理人として伊藤幸正の動産に対する強制執行の申立書を提出したという特徴的な事実を突き付けられながら、その後の行動についてはそれまで何度も尋ねられたがどうしても思い出せない旨供述していたのに、何年も経てから金銭出納帳を見せられて記憶を喚起したというのは不自然である。従って、被告人の弁明を採用することはとうていできないことになる。
七 以上を総合すると、被告人が戊谷宅を取得した上、その戊谷宅に放火をして火災保険金を騙し取ることを企てたこと、そして、そのことについて乙川との間で共謀が成立していて、乙川を通じて戊谷宅の合い鍵を入手したり、戊谷が留守になるようにするために、乙川に戊谷とその家族を花見に誘わせたりするなど、乙川の協力を得た上で、被告人が自ら原判示第二のとおりの放火行為に及んだことが容易に推認されるのである。そして、その他詳細な所論に鑑み更に検討を加えてみても、原判決に所論のような事実の誤認があるとは考えられない。論旨は理由がない。
(まとめ)
以上のとおりであって、論旨はいずれも理由がないことになるから、刑訴法三九六条、刑法二一条により、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本郷 元 裁判官 小野貞夫 裁判官 吉田 徹)